数研国語だより
数研国語だより第25号
2024.03.28
[1]新学期のスタートを快適に!「数研アカウント」新年度やることガイド
まもなく、新年度が始まります。
弊社のデジタル教科書・副教材(エスビューア)、チャート×ラボ、数研セミナーのお申込みなどに必要となる
「数研アカウント」
について、新年度に行っていただくことを「新年度やることガイド」にまとめました。
ぜひご活用ください。
新年度やることガイドはこちら
[2]加藤徹先生コラム「音読みするとわかる漢文の助字のニュアンス」
漢文はやっぱり中国語っぽいなあ、と感じることが時々ある。特に助字だ。
「~のみ」と訓読する助字には「耳」「爾」「而已」「而已矣」などがある。字面はバラバラだが、あえて音読みするとそれぞれ、ジ、ジ、ジイ、ジイイとなる。どれも限定的断言の気持ちだ。「ジ」より「ジイ」「ジイイ」のほうが「のみ!」という気持ちが強くなる。
『論語』の孔子のセリフを見よう。
「前言戯之耳。」前言は之に戯れしのみ。(陽貨第十七)
「期月而已可也。」期月のみにして可なり。(子路第十三)
「辞達而已矣。」辞は達するのみ。(衛霊公第十五)
「前言戯之【耳】」は「さっき言ったのはただの冗談だよ」。故事成語「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」の出典となった一段の最後で、孔子が自分の発言を撤回するセリフだ。「期月【而已】可也」 は「一年間だけでもいい」。「辞達【而已矣】」は「言葉は達意。それに尽きる」。
それぞれの「のみ」の比重は絶妙だ。もし仮に「前言戯之而已矣」などと言ったら「さっき言ったのは、ただの冗談に他ならないのだよッ!」と、孔子が弟子にむかって必死に弁解する語気になってしまう。孔子のイメージにそぐわない。
この他の漢文の助字も、目で字面を見るより、音読みで発音すると「気持ち」がわかるものが多い。
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