第9号(2022/12/13配信)
■□□目次□□■
[1]教科書掲載CGコンテンツ制作秘話
[2]加藤徹先生コラム「漢文の特異性 その3 演説ができない」
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[1]教科書掲載CGコンテンツ制作秘話
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今課程の弊社の国語教科書では、
教科書掲載の二次元コードから閲覧できるCGコンテンツとして
「3Dで見る・学ぶ『羅生門・清涼殿・寝殿造』」をご用意しています。
その企画・制作の一端をご紹介したいと思います。
□――羅生門――――――――□
京都駅前に展示されている「羅城門復元模型」を手がかりにCG制作はスタートしました。
模型造りを請け負った建築会社に問い合わせ、
設計図の原図を保管している場所を突き止め、
管理団体の許可を取り、古代建築のCG制作をお願いできる方を探し……。
中でも悩んだのが、楼の上に出る「梯子」の扱いです。
実際の羅城門には梯子はありませんでした。
しかし、芥川龍之介「羅生門」の授業で使える動画にするためには、
「梯子」の存在を避けて通れません。虚構の「梯子」をどう表現したのか?
ぜひ下記の動画からお確かめください!
■3Dで見る・学ぶ「羅生門」(言語文化)の動画はこちら
□――清涼殿・寝殿造――――□
正直なところ、実現は夢のまた夢だろうと思っていました。
「羅生門」とは規模が全然違いますし、建物や調度の設計図も入手しようがありません。
しかし、ここで幸運な出会いがありました。
古代建築のCG制作を手がけてブログで発信されている、
3D京都様(https://3dkyoto.blog.fc2.com/)です。
在野の方ですが、その知見と技術は卓越しており、
三十三間堂掲示の「法住寺殿復元CGパネル」や、
京都御苑シアタールームで上映されている「VR公家町」を手がけていらっしゃいます。
国語の教科書用のCGを制作したい旨をお伝えすると快諾いただき、
夢物語が現実のものになりました。これが無償で閲覧できるというのはまさに奇跡。
平安文学のご指導で是非ご活用ください。
■3Dで見る・学ぶ「清涼殿」(古典探究)の動画はこちら
■3Dで見る・学ぶ「寝殿造」(古典探究)の動画はこちら
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弊社教授資料・デジタル教科書をご採用いただいた学校様は、
同じく3D京都様制作の「古典常識解説動画」を4本ご覧いただけます。
「蔀と御簾」など、授業中にぱっと参照できるショートCG動画です。
こちらもご活用いただければ幸いです。
■古典常識解説動画などの教科書解説動画について詳しくはこちら
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[2]加藤徹先生コラム「漢文の特異性 その3 演説ができない」
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「演説」は、福沢諭吉がスピーチの訳語として考案した新漢語である。
西洋には昔から演説があった。古代ギリシアのギリシア悲劇のセリフは、スピーチじみている。
ローマのカエサルも、演説の力で世論を味方につけた。
これに対して、漢文の論説文を中国語で音読しても、演説にはならない。
中国人も、耳で漢文の音読を聞くだけでは、意味を半分くらいしか理解できないからだ。
ニワトリと卵の関係だが、古代中国には演説を必要とする「市民」も「議会」もなかった。
演説がなかったから「市民」も「議会」も育たなかった。
『論語』の孔子は、弟子たちと対話するが、老若男女の群衆にむけて演説することはない。
『三国志』の諸葛孔明も演説はしない。孔明は漢文で「出師の表」を書いた。
千古の名文だが、演説ではない。
古代のギリシア・ローマの演劇も、シェークスピアの芝居も、
西洋のセリフ劇は、演説力を磨く教材でもある。
中国は違った。近代に入り、日本経由で西洋演劇が伝わるまで、
中国に純粋なセリフ劇はなかった。中国の古典劇である崑劇や京劇は、海外でも有名だ。
だが、崑劇や京劇のセリフや歌詞は「漢文」ではない。崑劇や京劇のセリフの言語は、
漢文を中国語で薄めてわかりやすくしたような、独特の人工言語である。
日本では「返り点を使う漢文訓読は時代遅れだ」と主張する人もいる。
「漢文は外国語なので、国語ではなく、外国語の授業で扱うべきだ」という主張もある。
しかし、漢「文」が外国「語」であるとは、単純には言えないのだ。
人工言語であり、書記言語である漢文は、世界的に見てもユニークな言語なのだ。
****編集部員リレートーク****
国語編集部のSです。
現代文・漢文の書籍や、文学作品の朗読CDなどを担当しています。
最近、まだ文字を読まない小さな子どもが
耳できいた言葉を実によく覚えていることに驚かされます。
例えば、繰り返し読みきかせている絵本については全体を記憶していて、
大人が読み間違いをしたときにはすぐに指摘する、といった具合です。
文字を覚えて数十年、ほとんどの書籍を目でみて黙読し、
時に「人生字を識るは憂患の始め」(蘇軾)などと思うようになった私は、
字を識らない今しかみえない世界を持つ子どもを前に、
何気ない読みきかせの一時も含めていつも言葉を大切にしなければと
改めて感じております。
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